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Book: 「フクシマ」論: 原子力ムラはなぜ生まれたのか (Fukushima-ism: The Birth of the Nuclear Village)

開沼博(2011)『「フクシマ」論:原子力ムラはなぜ生まれたのか』東京:青土社. (Kainuma, Hiroshi. 2011. Fukushima-ron: Genshiryoku mura wa naze umareta no ka, Tokyo: Seidosha.) By focusing its analysis on nuclear power in Japan, this academic volume considers the historical process by which regional locales came to voluntarily subjugate themselves to

Judul: The Energy of a Bright Tomorrow’: The Rise of Nuclear Power in Japan (Energy Terang Masa Depan: Bangkitnya Tenaga Nuklir di Jepang)

Judul asli: Nelson, Craig. 2011. “‘The Energy of a Bright Tomorrow’: The Rise of Nuclear Power in Japan.” Origins 4 (9) (June). http://ehistory.osu.edu/osu/origins/article.cfm?articleid=57. Origins, jurnal Universitas Negeri Ohio yang diterbitkan secara online (dengan slogan “Kejadian-kejadian Kontemporer Dalam Perspektif Sejarah) menerbitkan

本:The Nuclear Age in Popular Media: A Transnational History, 1945-1965

本書は大衆メディアに描かれた原子力をめぐる言説を比較研究的かつ越境史的観点から分析した専門書である。編者であるディック・ファン・レンテ(エラスム ス・ロッテルダム大学教授)によると、これまでの大衆文化における原子力イメージの研究の多くは、一国内における原子力イメージの分析にとどまり、その越 境的側面にはあまり注目してこなかった。

本:夢の原子力 Atoms for Dream (2012)

吉見俊哉.2012.夢の原子力 Atoms for Dream.東京:筑摩書房  福島第一原発事故以降、ドワイト・アイゼンハワー元米大統領による「アトムズ・フォー・ピース」(平和のための原子力)政策が日本の原子力政策に与えた影響について様々な研究が行われてきた。著者の吉見俊哉(東京大学大学院情報学環教授)は、本書でこの「アトムズ・フォー・ピース」という米国の世界戦略を日本に暮らす人々が受容していくプロセスを描いている。 本書の問いは次の通り。「アメリカの世界戦略としてみれば「アトムズ・フォー・ピース」として語られ、表現されたことは、同時代の日本の諸地域、諸階層、諸世代、異なるジェンダーの人々からみたときに、いかなる夢、すなわち「アトムズ・フォー・ドリーム」として経験されたのか。アイゼンハワーのしたたかな作戦の言語は、同時代の東アジアの旧帝国主義国、そしてまた敗戦国でもある列島に住まう人々のいかなる欲望の言語に変換されていったのか」(39頁)。 著者によると、日本による「夢」としての原子力の受容には、3つないしは4つのタイプの言説の操作が伴われていたという(288-291頁)。第一が「救済」という言説を伴った原子力の受容。「日本は広島と長崎の被爆により、原子力の軍事利用の悲惨さを身をもって経験した。まさにそうであるが故に、日本人はこの原子力の軍事利用に反対し、平和利用を推進しなければならないのだという主張」(288頁)である。第二が「成長」という言説を伴った原子力の受容。資源が乏しい上に敗戦国である島国日本が、経済を成長させるためには原子力のような「夢」のエネルギーが必要不可欠だという「生産力主義の主張」(289頁)である。第三に「幸福」という言説を伴った原子力の受容。原子力は便利で豊かな生活をもたらすというイメージの中で、「何らかの論理によって「夢」の受容が正当化されるのではなく、「夢」そのものの圧倒的な魅力によって過去を忘れ去り、原子力的な「暖かさ」のなかに自分たちの生活を浸からせていくことが正当化される」(290頁)というもの。最後に、70年代半ば以降になると「原子力が「クリーン」で自然と「調和」したエネルギー」(291頁)であるという言説が登場したという。本書の構成は以下の通り。 序章 放射能の雨 アメリカの傘 第I章 電力という夢―革命と資本のあいだ 一 革命としての電気 二 電力を飼いならす 三 総力戦と発電国家 第II章 原爆から原子力博へ 一 人類永遠の平和と繁栄へ 二 列島をめぐる原子力博 三 ヒロシマと原子力博 四 冷戦体制と「原子力の夢」 第III章 ゴジラの戦後 アトムの未来一 原水爆と大衆的想像力 二 記憶としてのゴジラ 三 ゴジラの変貌とアトムの予言 終章 原子力という冷戦の夢 あとがき 参考文献 本書は一般の読者向けに書かれているものの、福島第一原発事故の原因について様々な見地から詳細に説明している。高校生以上のテキストとしてのぞましい。 –Yasuhito Abe, University of Southern California

Post-Fukushima Nuclear Politics in Japan

Aldrich, Daniel, James Platte, and Jennifer Jennifer. “Post-Fukushima Nuclear Politics in Japan, Part I.” Blog. The Monkey Cage, April 1, 2013. http://themonkeycage.org/2013/04/01/post-fukushima-nuclear-politics-in-japan-part-i/. In this three-part blog post, Daniel Aldrich, James Platte, and Jennifer Sklarew summarize development in Japanese politics, bureaucratic organization,

Teach 3.11 held a workshop on Teaching “Disasters” for the Nuclear Power in Asia: Two Years after Fukushima symposium, hosted at the National University of Singapore, 22 March 2013. Here, we post the presentation slides so you can view what

本:「フクシマ」論 (2011)

本書は日本の原子力の分析を通して日本の戦後成長における地方の自発的服従の歴史的形成過程を考察した学術書である。著者は、原子力を地方に導入したい「中央」とその原子力を受け入れ維持したい「地方」によって構成される原子力ムラという概念を提示しながら、「戦後成長の基盤」としての原子力(経済)「地方の統治装置」としての原子力(政治)「幻想のメディア」としての原子力(文化)という視座から、戦後日本における原子力を分析している。

本: Site fights: Divisive facilities and civil society in Japan and the West

本書は原子力発電所や空港やダムなどといった市民全体にとっては必要であるものの、それらの施設が設置される地域共同体には好ましくない影響を及ぼす可能性のある施設について、日本の国家機関と市民社会の関係性という観点から論じた専門書である。著者のダニエル・P・アルドリッチ(パデュー大学準教授)は本書を通じて、国家機関は市民社会の成熟度が低い地域にこれらの施設を設置する傾向があると主張している。