本:日本はなぜ原発を輸出するのか (2014)

鈴木真奈美(2014)『日本はなぜ原発を輸出するのか』、平凡社新書。

筆者は、フリーランス・ジャーナリストであり、英語と中国語の翻訳者である。彼女は核をめぐる問題に積極的に取り組んでおり、代表的な著作として『核大国化する日本——平和利用と核武装論』(2006年、平凡社新書)や「『フクシマ・エフェクト』:『脱原発社会』への道を歩み出す台湾」(『現代思想』、44(7)、194-204)などが挙げられる。

映画: 小さき声のカノン-選択する人々 (2015)

ドキュメンタリー映画『ヒバクシャ-世界の終わりに』(2003)、『六ケ所村ラプソディー』(2006)、『ミツバチの羽音と地球の回転』(2010)など、福島原発事故以前から原発問題を追っている鎌仲ひとみ監督による最新作。福島に残ることを選択した母親たちを中心に、子どもを被曝から守るための方法を探る人々の姿が描かれる。キーワードは「保養」である。

記事:近代化を抱擁する温泉ー大正期のラジウム温泉ブームにおける放射線医学の役割 (2013)

中尾麻伊香.「近代化を抱擁する温泉 : 大正期のラジウム温泉ブームにおける放射線医学の役割」、『科学史研究』52 (2013): 187-199.

著者の中尾麻伊香氏は、科学技術(特に原子力)に関する言説や表象の歴史研究を専門とする科学史家である。原子力に関する科学的知見がメディアの中でどう表象されてきたかを、戦前期からの連続性・不連続性を踏まえて研究しようとする著者のアプローチは、既存の科学史研究に新たな地平を開くばかりでなく、3.11後我々が直面する事態について考える上でも大きな可能性を秘めている。

映画:「A2-B-C」(2013)

本作は、日本在住のアメリカ人監督イアン・トーマス・アッシュによる、福島県の放射能に汚染された地域に住む子どもたちと母親たちに焦点を当てたドキュメンタリーである。監督は福島の家族に密着取材し、放射能とともに生活する子どもたちの日常と母親たちの不安と怒りの声をとりあげる。

本:チェルノブイリ・フクシマ・韓国(2012)

『チェルノブイリ・フクシマ・韓国』の筆者 は、環境問題とエネルギー問題に取り組む韓国人活動家。2012年3月に出版された本書において、チェルノブイリ、フクシマ、加えて韓国(ここでは国内の 原子力発電所敷地が集まったものとして理解されている)の関連性を捉えようとしている。この配列が明示しているように、本書では韓国が第二のチェルノブイ リもしくはフクシマになるべきではないとの主張がなされている。

本:みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年

2011年3月11日に発生した東日本大震災、そして続く福島第一原子力発電所事故は、甚大な数の被災者、そして多くの混乱をもたらした。そして、被害の状況は、なおも現在進行形で続いている。そのような中で、食品の安全性をめぐる問題もまた大きくクローズアップされ、数多くの実践がなされることとなった。ここで、紹介する「みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年」は、千葉県柏市で震災以降に生じた農作物をめぐる課題に対して「安全・安心の柏産柏消」円卓会議が中心となって行った実践について記述したものである。そして、ここで描かれる内容は、3・11をめぐる問題群、そしてPublic Engagementを中心としたSTS的課題群にも示唆を与えるものと考えられる。

本:放射線被曝の歴史-アメリカ原爆開発から福島原発事故まで

“今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、強制される側に、ヒバクはやむをえないもので、受忍すべき ものと思わせるために科学的装いを凝らして作った社会基準であり、原子力開発の推進を政治的・経済的に支える行政手段なのである。”(本文より)

本:The Nuclear Age in Popular Media: A Transnational History, 1945-1965

本書は大衆メディアに描かれた原子力をめぐる言説を比較研究的かつ越境史的観点から分析した専門書である。編者であるディック・ファン・レンテ(エラスム ス・ロッテルダム大学教授)によると、これまでの大衆文化における原子力イメージの研究の多くは、一国内における原子力イメージの分析にとどまり、その越 境的側面にはあまり注目してこなかった。

本:夢の原子力 Atoms for Dream (2012)

吉見俊哉.2012.夢の原子力 Atoms for Dream.東京:筑摩書房  福島第一原発事故以降、ドワイト・アイゼンハワー元米大統領による「アトムズ・フォー・ピース」(平和のための原子力)政策が日本の原子力政策に与えた影響について様々な研究が行われてきた。著者の吉見俊哉(東京大学大学院情報学環教授)は、本書でこの「アトムズ・フォー・ピース」という米国の世界戦略を日本に暮らす人々が受容していくプロセスを描いている。 本書の問いは次の通り。「アメリカの世界戦略としてみれば「アトムズ・フォー・ピース」として語られ、表現されたことは、同時代の日本の諸地域、諸階層、諸世代、異なるジェンダーの人々からみたときに、いかなる夢、すなわち「アトムズ・フォー・ドリーム」として経験されたのか。アイゼンハワーのしたたかな作戦の言語は、同時代の東アジアの旧帝国主義国、そしてまた敗戦国でもある列島に住まう人々のいかなる欲望の言語に変換されていったのか」(39頁)。 著者によると、日本による「夢」としての原子力の受容には、3つないしは4つのタイプの言説の操作が伴われていたという(288-291頁)。第一が「救済」という言説を伴った原子力の受容。「日本は広島と長崎の被爆により、原子力の軍事利用の悲惨さを身をもって経験した。まさにそうであるが故に、日本人はこの原子力の軍事利用に反対し、平和利用を推進しなければならないのだという主張」(288頁)である。第二が「成長」という言説を伴った原子力の受容。資源が乏しい上に敗戦国である島国日本が、経済を成長させるためには原子力のような「夢」のエネルギーが必要不可欠だという「生産力主義の主張」(289頁)である。第三に「幸福」という言説を伴った原子力の受容。原子力は便利で豊かな生活をもたらすというイメージの中で、「何らかの論理によって「夢」の受容が正当化されるのではなく、「夢」そのものの圧倒的な魅力によって過去を忘れ去り、原子力的な「暖かさ」のなかに自分たちの生活を浸からせていくことが正当化される」(290頁)というもの。最後に、70年代半ば以降になると「原子力が「クリーン」で自然と「調和」したエネルギー」(291頁)であるという言説が登場したという。本書の構成は以下の通り。 序章 放射能の雨 アメリカの傘 第I章 電力という夢―革命と資本のあいだ 一 革命としての電気 二 電力を飼いならす 三 総力戦と発電国家 第II章 原爆から原子力博へ 一 人類永遠の平和と繁栄へ 二 列島をめぐる原子力博 三 ヒロシマと原子力博 四 冷戦体制と「原子力の夢」 第III章 ゴジラの戦後 アトムの未来一 原水爆と大衆的想像力 二 記憶としてのゴジラ 三 ゴジラの変貌とアトムの予言 終章 原子力という冷戦の夢 あとがき 参考文献 本書は一般の読者向けに書かれているものの、福島第一原発事故の原因について様々な見地から詳細に説明している。高校生以上のテキストとしてのぞましい。 –Yasuhito Abe, University of Southern California

本:「フクシマ」論 (2011)

本書は日本の原子力の分析を通して日本の戦後成長における地方の自発的服従の歴史的形成過程を考察した学術書である。著者は、原子力を地方に導入したい「中央」とその原子力を受け入れ維持したい「地方」によって構成される原子力ムラという概念を提示しながら、「戦後成長の基盤」としての原子力(経済)「地方の統治装置」としての原子力(政治)「幻想のメディア」としての原子力(文化)という視座から、戦後日本における原子力を分析している。

本: Site fights: Divisive facilities and civil society in Japan and the West

本書は原子力発電所や空港やダムなどといった市民全体にとっては必要であるものの、それらの施設が設置される地域共同体には好ましくない影響を及ぼす可能性のある施設について、日本の国家機関と市民社会の関係性という観点から論じた専門書である。著者のダニエル・P・アルドリッチ(パデュー大学準教授)は本書を通じて、国家機関は市民社会の成熟度が低い地域にこれらの施設を設置する傾向があると主張している。

記事: Hatoko comes home: Civil society and nuclear power in Japan

被爆地である広島からそう離れていない山口県上関町がいかにして1980年代初頭に原子力発電所を誘致するに至ったかを検証した研究である。1974年4月、日本放送協会(NHK)は朝の連続ドラマ「鳩子の海」の放映を開始した。この連続ドラマは、広島で被爆した後に山口県上関町の住民の養子となった少女(平和のシンボルの鳩から「鳩子」と名付けられる)が成長する過程を描いている。

BOOK: Disaster and the Politics of Intervention 『災害と介入における政 治』

Lakoff, Andrew, ed. 2010. Disaster and the Politics of Intervention. New York: Columbia University Press. アンドリュー・レイコフ編(2010)『災害と介入における政 治』コロンビア大学出版. 本書は「大災害に至るリスクを軽減するために公共機関によって行われる介入の役割」(1頁~2頁)について様々な観点から論じている専門書である。本書は編者のアンドリュー・レイコフ(南カリフォルニア大学准教授)による序文に加えて以下の論文によって構成されている。 Chapter 1: “Beyond Calculation: A Democratic Response to Risk,” by Sheila Jasanoff. Chapter 2: “Private Choices, Public Harms: The Evolution of National

3.11 Virtual Conference: Looking Back to Look Forward (11-12 March 2012)

311バーチャル会議: Looking Back to Look Forward (11-12 March 2012) Teach 311は2012年3月11日~12日日本時間朝8時から、STS 福島フォーラムのホームページ上で東北大震災の一周忌に開かれるバーチャル会議を後援します。このイベントは、現地調査を手がける著名な研究者から大学院生によるエッセイに対してのコメントや対話を48時間に渡り受け付けるもので、昨年あった地震、津波、核による惨事の合同災害に関連する主な課題や未解決の問題について話し合う場になる予定です。 どなたでも参加できますので、皆様と語り合えますのを楽しみにしております。詳細はこちらです。 Teach 3.11 is pleased to co-sponsor a “virtual conference” that will take place 11-12 March 2012 from 8:00 a.m., Japan Standard Time (6:00 p.m., March 10, EST) at the science

ARTICLE: 災害資本主義の発動 二度破壊された神戸から何を学ぶのか?

本論文はナオミ・クラインの「災害資本主義」という概念に依拠しつつ、3.11の復興に付随する「大規模な社会的再編」について歴史的脈絡に即して分析した論考である。筆者によると、1995年に発生した阪神淡路大震災で破壊された神戸の街は、「復興」の名目のもとで組織的に公共事業などによって再び破壊され、震災の後に起きた自然と災害をめぐる科学論争も経済と行政権力の論理によって蹂躙された。筆者は、このような大災害を契機とした「組織的収奪」を促進する「災害資本主義」が3.11後の日本でも発動され、「総力戦体制の構築が行われる」と警鐘を鳴らしている。

本:ノーマル・アクシデント(日本語要約)

Editors’ Note: This is a Japanese translation of a Teach 3.11 annotation. We invite volunteers to translate and/or contribute content in Korean, Japanese, and Chinese languages. Thank you. 『ノーマル・アクシデント:高危険度技術とともに生きる』 Perrow, Charles. 1984, 1999. Normal Accidents: Living with High-Risk Technologies. Princeton University Press.