中川保雄. 2011. 放射線被曝の歴史-アメリカ原爆開発から福島原発事故まで. 東京:明石書店

houshasen-hibaku-no-rekishi-cover“今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、強制される側に、ヒバクはやむをえないもので、受忍すべき ものと思わせるために科学的装いを凝らして作った社会基準であり、原子力開発の推進を政治的・経済的に支える行政手段なのである。”(本文より)

筆者は、原子力推進の立場からのみ描かれてきた放射線被曝の歴史を、膨大なデータから批判的に再検討する。隠された歴史から見えてくるのは、ヒバク シャの被害が、推進派の経済的利益を至上とする原理、生命を貨幣的価値へ換算する仕組みを通して測られ、それが「科学」とされてきた原理や仕組みである。

国際放射線防護基準の理論は、「安全線量」の存在を認める「耐容線量基準」から、放射線の遺伝的影響は否定できないが、平均的人間にとって受任可能 な放射線量があるとする「許容線量」へ移行した。死の灰の問題や、原発事故によって、原子力に対する世界的批判が高まると、放射線被曝のリスクは原子力か ら得られる社会的・経済的利益を考慮すると容認されるという「リスクーベネフィット論」や、被曝線量を下げるために要するコストが、その金額で得られる利 益、ベネフィットを上回り、かつ、放射能のリスクが他に容認されているリスクよりも小さいのであればなら、人々に被曝を容認させるべきであるという「コス ト-ベネフィット論」が導入された。

生命を金勘定し、リスクを社会的に弱い立場の人間に押し付けることを推進するリスク受忍論の発展は、アメリカの主導のもと、ICPRや、国連科学委 員会などの原子力推進国際機関の協調体制によって担われてきた。完全にアメリカの支配下で行われた原爆傷害調査委員会(ABCC)の広島長崎での調査デー タは、偏った人口集団しか調査しておらず統計的に有意義でないにも関わらず、科学的根拠として引き合いにだされた。

上記の歴史からの教訓は、原子力推進派に不利が生じ始めると、原発推進派の国際的権威、科学的権威が動員され、それを受けてICRPの国際勧告が出 される、ということが歴史的に繰り返されてきたのであり、よって、国際的放射線防護基準による対応は、被曝の拡大、とくに肉体的社会的弱者への被害を防ぐ ものにはなり得ないということである。筆者は私たちが国際的科学的権威機関に依存せず、主体的に被曝防護基準の引き下げを求めて運動していく必要性を説く。

フクシマ原発事故後に書き足された増補には、フクシマの被曝対策がICRPの勧告に依拠していることに対し、その不当性、限界性を説明している。また、フクシマとチェルノブイリの比較検討や住民たちの主体的な運動について取り上げている。

本書は、1991年に刊行された「放射線被曝の歴史」に、フクシマ後、増補が加えられ、2011年に再出版された。私たちが今日指針としている防護 基準が、原子力推進派によって恣意的につくられたものであることを証明する本書は、20年前の著作とはいえ、科学の恣意性や文化性について論争が起こって いる現在必要とされている視点である。しかし、本書に追従した研究は少なく、フクシマの事故は過去の経験があるにも関わらず「未曾有」といわれた。つま り、本書の調査は十分に現在に活かされておらず、忘却されてきたといえる。現在の原子力に関する国際体制、被曝対策、そして私たちのひとりひとりのこれか らの行動を考えるために、本書は再考される価値がある。

井沼 睦 (神戸大学)

*増補「フクシマと放射線被曝」は「科学技術問題研究会」の討論と報告をまとめたものである
参考図書1「原爆調査の歴史を問い直す」2011年3月出版 科学技術問題研究会
http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/report_atomicbomb_history_201103.pdf

参考図書2「米軍占領下の原爆調査 原爆加害国となった日本」1995年10月 笹本征男

本:放射線被曝の歴史-アメリカ原爆開発から福島原発事故まで
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